2022年

年が明けた。2022年である。

実家暮らしの私は特に帰省しているというわけでもなく、単なる長期休みが6日ほどあるだけである。それも別にバイトが入っているので休んでいるわけでもない、ただバイトに何日か多く入るだけの週である。実家暮らしの学生の年末とはこういうものだと思う。

晦日である昨日も、買い物に行き、ほぼ片付けと言い換えても差し支えないbig掃除を終えて、ハライチのターンの年末特番を聞いていたら年が明けていた。人生で2021年から2022年の年明けは一回しかないのに何をしているのか。四缶目の酒を開けた私の脳は全く機能していないので今は魂だけでキーボードを打っています。

 

去年は色々あった年だった。

まず就職が決まった。いろいろ考えたけど、まあ自分らしい選択をしたなと今になって思う。就活を終えて思うのは、どんな会社でもいいところも悪いとこもあるので、100%自分に合う会社というのは無いということ。消去法で選んだ会社なので今後転職する可能性がない訳じゃないんだけど、まあ結構ホワイトだしいいか…と思っている。

 

ふたつめに、Twitterのリアル垢を辞めた。10年くらいやっていたので正直かなり寂しかった。Twitterを通してリアルで出会った人もいたし、あなたのツイート面白いねとTwitterを通して私自身に興味を持って貰えることもあった。しかし、Twitterをやってることによって感じるデメリットの方が多かった。

Twitterを辞めたことでつながりの無くなってしまった友達は何人かいるけど、辞めたことは後悔していない。そういう友達はどうせSNSで繋がっていてもいずれ切れてしまうものだと思うので。

 

それ以外にもいろいろあったが大きいのはその二つである。二つとも他人から見ればどうでもいいことだろう。2022年に起きることも、きっと私にとっては大きな出来事でも、世間から見れば大したことではない。

気楽に生きていこうと思う。たとえ一度しかない人生だとしても。

台湾旅行行ってきた

卒業旅行として2020年2月19日〜22日に友人と2人で台湾に行ってきました。とても楽しかったので、備忘録を残しておこうと思います。


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地味に初成田空港でした。私は海外に行くのが初めてな上に、直近の旅行で大阪に行った時台風で電車が遅延して飛行機に乗れなかったトラウマがあるため、フライトの3時間前に成田に着いてWiFi借りに行ったりお昼ご飯食べたりして時間を潰してました。
友達と合流した後にチェックインしたり荷物預けたりした後もまあまあ時間が余っていたので暇つぶしにポケモンセンターとか寄りました。ピカチュウが搭乗員のコスプレしてて制服かわい〜と思いました。

 


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飛行機では機内食が出て、私も友達も機内食を食べるのは初めてだったのでかなりテンションが上がりました。夜は士林夜市で食べ歩くつもりだったのであんまり食べたらやばいかな〜と思いながらめちゃくちゃ食べてしまい、のちのち後悔することになります。まあまあおいしかったけど海鮮サラダだけ小学校の給食の時の味がして吐き気を催しました。
キャセイパシフィック航空という航空会社を使ったのですが椅子にモニターがついてて映画見れるし機内食にはハーゲンダッツも着いてるし天国か?と思いました。男性搭乗員さんも居てイケメンでした。

 

台湾に着いて、荷物を受け取ろうとして手荷物受け取り場に行くと、何故か私のキャリーが倒されて置いてあったので、近づいてよく見るとキャリーの車輪が取れててビビりました。あんまり調べてなくてよく知らなかったんですが、海外の航空会社だと結構手荷物の扱い雑なところもあるみたいですね…。拙い英語でクレームを入れたら日本で直してくれる事になったのですが、旅行中は三本脚のまま運ばないといけなくなったため、結構不便でした。
今回の旅行で英語が必要になった場面ここだけだったんですが、私と添乗員さんのやりとりが本当にTOEICのリスニングの会話みたいだったので実用英語ってこういう事なんだ〜と思いました。リスニング力大事〜。


台湾に着いた時にはもう夜だったのでとりあえずホテルに荷物を置いて士林夜市に遊びに行きました。台湾の電車は乗りやすいと聞いていたのですが地下鉄の色分けの感じが日本とかなり近くてわかりやすかったので本当にすぐに目的地まで行けました。

 


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台湾の切符は紙じゃなくてICチップが埋め込まれたコインをSuicaみたいに改札にタッチする方式だったので新鮮でした。詳しい値段は忘れましたがめちゃくちゃ安かったです。結局台湾ではタクシーは乗らなかったんですがタクシーも安いみたいですね。


夜市では小籠包とか葱餅とか色々食べましたが機内食を食べた後だったのですぐお腹いっぱいになってしまって帰りました。服屋もたくさんあって、タピオカみたいな頻度でoff-whiteとかsupremeとかのブランド品の偽物が売られててアメ横みたいでした。日本人ばっかりの上に客引きも日本語でされてたのもあって外国に来た感はゼロでした。

 


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2日目は一日中ツアーだったので兵隊交代式を見たり博物館に行ったりしました。写真の球体の中に球体の中に球体の中に球体を彫り込んだみたいな展示が凄かったです。想像するだけでこれ彫るの地獄すぎる。
ぼけーっと展示見てたらガイドさんが先行っちゃってツアーの集団からはぐれて慌てましたが友達の持ってたポケットWiFiの電波の強い方向に歩いてなんとか合流出来ました。スリに気をつけてとガイドさんから注意を受けていた影響で博物館でもの見てる時ずっと友達がわたしの鞄から財布をスろうとしてきて防犯意識を高めさせてくれる良い友達だな〜とほっこりしていました。

 



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お茶屋さんでお茶飲んだりもしました。台湾では美味しいお茶を試飲として飲ませてまるっきり別のお茶を売りつけられたりもするらしく、親から買っちゃダメだよと言われてたんですが、このお茶はほんとに飲むだけで痩せる!と言われて、彼氏に飲ませて効果を試してみたい欲に負けて買ってしまいました。チョロい。試飲したお茶はおいしかったです。

 


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夜は九份に行って写真に載ってるレストランでご飯を食べました。千と千尋の舞台のモデルになった街並みが風情あって綺麗でした。そういえば今回一緒に行った友達とはもののけ姫の舞台のモデルになった屋久島にも去年の夏に行ってたので、偶然にもジブリの聖地巡りしてる2人みたいになりました。特に2人ともジブリが好きな訳でもないのに…。次はクロアチアかな…。

夜はもう一度士林夜市に行って昨日食べれなかったものをリベンジしたりしました。タピオカとか炒めたエリンギとかミニたこの丸ごと入ったたこ焼きとか食べました。美味しかったです。でもやっぱり夜ご飯食べた後だったのですぐ苦しくなって悔しかったです。

 

2泊3日の予定でしたが3日目は朝の便で帰国したのでこれで台湾の旅は終了しました。飛行機の中では椅子の背もたれに付いてたモニターで2048をやっていたのですが、私の前の席の男の子がむちゃくちゃ2048上手くてするする解いてくので友達と2人で背もたれの間から応援してたりました。
帰りに手荷物受け取り場で航空会社の人がキャリーバッグの修理について説明するために待機しててくれて安心しました。流れてくる手荷物から私のキャリーを探してる間に友人が「あれありまるのじゃない?あっ車輪4個あるから違うわ」と車輪の個数で私のキャリーがそうでないかを判別しててちょっとウケました。


今回は3食ついてるツアーを申し込んでいてかなりギチギチに予定を詰めてしまったので、行きたかったところや食べたかったものが消化しきれなかった部分もあって残念でした。台湾近いので来年あたり今度はツアー無しでまた行きたいです。

あと今回1番驚いたこととして、台湾は基本トイレットペーパーが流せなくて地獄かと思いました。ホテルは流石に流せたんですが空港とかのパブリックな場所でもトイレットペーパー流さないでって注意書きがされててめちゃくちゃカルチャーショックでした。桃園空港、搭乗口では顔認証を取り入れたりしてるのに、トイレではトイレットペーパーが流せないという、、、。ググッたらトイレットペーパーがトイレに流せる国って少数派みたいで、海外には住めないな〜と思いました。しばらくすれば慣れるのかもしれないけど嫌だよ〜病気になっちゃうよ〜。


友達は就職組なので(少なくとも私が学生の間は)あんまり気軽に旅行には行けなくなるかもしれないですが、楽しかったのでまた遊んで欲しいです。

 

中高の思い出を断捨離した

 


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院試も終わったので部屋の断捨離をした。

そもそも物をあまり持っていない私の部屋には洋服と化粧品と本とぬいぐるみしか置いてないのだけれど、そのどれにも属さない「思い出の品」というカテゴリで捨てるに捨てれなかった品物が幾つか部屋に残っていた。
眺めるだけしか使用用途もなく、そもそも「思い出の品」として取ってあるにしてはそれ程大した思い出もないので、品物についての記憶をインターネットに記して供養してから全部捨てることにする。


・ゴム製のきのこのおもちゃ

高校時代に友達となんらかのガチャガチャで引き当てたストラップのチャーム部分。ずっとしめじだと思っていたがある日バイト先の先輩に指摘されこれはしめじではなくえのきだということに気がついた。ただのゴムのおもちゃなのだがある日消しゴムを忘れて試しにこれで擦ってみたら文字が消えたので一日これを消しゴムとして使用したことがあり、端が少し黒ずんでいる。

ストラップ部分があったときは携帯にくっつけていたが壊れたのでそれからは無断で教室の後ろの黒板に飾っていた。たまに昼休みにボール代わりにしてキャッチボールをして遊んでいた。


・コマのおもちゃ

高校時代に友達が突然教室に持ってきた。何かの付録だったのかもしれない。2つあったので友達と対戦していたら若い数学の教師が割り込んできて私と数学の教師と対戦した。これで遊んだのはその時の1回しか無い。友達はずっとこれを「ベイブレード」と呼んでいたがこんな簡素なベイブレードがあってたまるかと思う。

・校章

通っていた中学、高校の校章。中学の校章は3年間きっちり制服に付けていたが高校の校章は入学から1週間で外した。私服高校だったので、どんな服を着ていてもこの高校の生徒とわかるように見えるところに付けなくてはいけないという決まりだったが、誰も守っている者はいなかったし、教師もそれについて何とも思っていないようだった。

・文化祭の劇で使った衣装のリボン

高三の時の文化祭で劇をやったときに使った衣装の一部。何故受験生の秋に劇などやらねばならんのだと思っていたけど伝統!!!絆!!!劇頑張った生徒は受験も制する!!!みたいな圧倒的自称進学校のパワーでねじ伏せられていたので不満を漏らすことは許されなかった。準備はまあまあ楽しかった。
ダンスの練習のとき合間を縫って体育館の床に伏せて物理の重要問題集を解いていた。あまりにダンスが下手すぎる私と陰キャ男子にリーダー格のダンス部女子が頭を悩ませ振り付けがどんどん簡単になっていった。


ヘタリアのフランスというキャラクターのハンカチ

中学時代にヘタリアならフランス推しかな〜と言った私にアニメイトに行ったという友人がお土産で買ってきてくれた。友人は地元が秋葉原という超都会っ子(そもそも中学が秋葉原に近かった)だったので、アニメグッズも地元の名産品みたいな認識なのかな〜と中学一年生だった私は思った。


河下水希のポスター

ジャンプの付録だった。河下水希が好きだったので取ってあった。これについては特に何の思い出もない。


・高校受験で通っていた塾で宿題をメモするための小さいメモ帳

今なら全部携帯でメモするけどまだ授業中に携帯を取り出すことは悪とされていた時代のメモ帳。図書館など喋ってはいけない場所で友人と筆談するために使用したりもした。少し見直してみたらタオという名前の先生に「タオパイパイ」とあだ名をつけたりドラゴンボールを知らない友人に「下ネタやめて」と返事をされていたりした。


・14Gのボディピアス

高2のときにピアスを11個開けていた友人の影響で5個ピアスを開けた時に付けていたもの。(2つはすぐに塞いだのでもう穴はないが未だに軟骨に空けた跡のしこりが残っている)髪もその友人の影響でブリーチして金に染めたりしたけど全く似合ってないので今すぐ辞めろとタイムスリップしてあの頃の自分に言いたい。ファッションもAnk Rougeとかaxes femmeとかフリフリの物を怖気づかずガンガン着てたしその頃の方がよっぽど理系女子らしい容姿をしていた。

そもそも高校時代からこのシンプルなデザインのボディピアスを可愛いと思ったことはなく、そそのかされたとはいえなんでこんなの付けてたのか今となっては疑問である。昔から花とか星とかかわいいものの方が断然好きだったのに…。

 

こうして並べてみると自分も結構ちゃんと人と関わりながら中学、高校時代を過ごしていままで生きてきたんだなという当たり前のことを思い出す。今ではほとんど連絡も取ってないしSNSも知らないから何をしてるのか分からないけど、元気でいるといいなと思う。